フジ・メディア・ホールディングスの取締役代表会長にまで昇りつめた日枝久(ひえだ ひさし)氏。
日枝久氏は、早稲田大学政治経済学部を卒業後、1961年にフジテレビに入社。
そんな日枝久氏は42歳の若さで編成局長に就任。フジテレビの黄金時代を築きました。
日枝久氏が、日本を代表する民間放送局フジテレビの実権を握ることになるのにはどのような戦略があったのでしょう。
フジテレビを乗っ取ったとか言われているよね。
今回は、日枝久氏がフジテレビ創業者を追い出し、フジテレビを乗っ取った‘’クーデター‘’とまで言われた歴史をお届けします。
日枝久がフジテレビを乗っ取り?!創業者を追放したクーデターとは?
日枝久氏によるフジテレビの「創業者(家)追放」は、日本のメディア業界に大きな衝撃を与えた出来事です。
日枝久氏の‘’フジテレビを乗っ取り!創業者を追放したクーデター‘’とまで言われた経緯を時系列で詳しく解説していきます。
フジテレビ創業は1957年
フジテレビは1957年に鹿内信隆(しかないのぶたか)さんによって設立されました。
鹿内信隆(しかないのぶたか)とは?
鹿内信隆は戦後の日本メディア界で急速に台頭しました。
1954年に日本初の民間ラジオ局ニッポン放送の設立に携わる。
その成功を基に、1957年にはフジテレビジョンを立ち上げ、初代社長に就任しました。
資金調達や免許取得など多くの困難を乗り越え、ラジオとテレビを手がける大手メディア企業の創業者となりました。
鹿内家は長年にわたってフジテレビの経営を担っていましたが、日枝久氏が急速に台頭し、局内の力関係に変化をもたらしました。
日枝久の台頭
日枝久氏は労働組合の結成に尽力し、社内での基盤を築くことに成功しました。
日枝久氏は労働組合の組合書記長として社員の継続改善に尽力していました。
このような経験が、彼のリーダーシップ能力を高め、社内での信頼を得る要因となりました。
1980年:日枝久氏が42歳で編成局長に抜擢される。この頃から日枝久氏の改革が始まる。
日枝久氏は編成局長では思い切った番組改革を行い、フジテレビの視聴率を大幅に向上させました。
この成功により、日枝久氏の社内での影響力は急速に拡大しました。
1984-1985年:日枝久氏の編成戦略が功を奏し始める。
「オレたちひょうきん族」や「夕やけニャンニャン」などの人気番組が誕生。
1980年代「楽しくなければテレビじゃない」がフジテレビのキャッチコピー
当時の女子アナは河野景子さん、有賀さつきさん、八木亜希子さん
なつかしい
1985年:フジテレビが年間視聴率で初めてトップを獲得。日枝久氏の社内での評価が急上昇。
創業家との確執とクーデター
1988年:日枝久氏が代表取締役社長に就任。経営陣入りを果たす。
これは鹿内春雄氏の急逝から2ヶ月後のことでした。
1992年:鹿内宏明氏を追放
2001年:フジテレビ代表取締役会長に就任
✔ 経営の実権は完全に日枝久氏が掌握
✔ 鹿内家は名目上の地位は保持していたが、実質的な影響力を失う
✔ 社内外で日枝久氏の経営手腕が高く評価される
日枝久のフジテレビ乗っ取り劇
日枝久氏の台頭により、創業から影響力があった創業家鹿内一族の影響力が相対的に低下したと考えられています。
これにより、日枝久氏が実質的にフジテレビの権利経営を掌握したと見なされ、「乗っ取り」と表現されました。
これが乗っ取りと言われている?!
日枝久氏は、フジテレビの黄金期を作り上げた功績により、急速に出世を重ねました。
その後のフジサンケイグループの資本構造の見直しと持株会社体制の安定化が、日枝久氏の影響力をより強いものにしました。
このように、日枝久は長年にわたる実績と功績、そして組織内での権力闘争を経て、フジテレビの会長職に就任し、その後もグループ全体に強い影響力を持ち続けています。
日枝久氏の経営手腕と戦略的な人事配置、そして何より視聴率向上による業績アップが、創業家の影響力低下と日枝派の台頭をもたらしました。
この「乗っ取り劇」ともいえる過程は、日本の企業社会における能力主義の台頭と、伝統的な家族経営の衰退を象徴する出来事として、経営学的にも大きな意義を持つものとなりました。
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創業者(家) 追放後の影響
✔ 経営体制の変化:日枝久氏を中心とした新体制の確立
✔ 番組編成の変更:さらなるエンターテインメント路線の強化
✔ 業界への影響:他局でも同様の世代交代が加速
日枝久氏のフジテレビの「創業家追放」による乗っ取り、クーデターとも言われるやり方は、日本の企業文化の変容を象徴する出来事として捉えられています。
経営能力と実績を背景に、創業家の影響力を排除し、自身の経営体制を確立した日枝久氏の手腕は、評価と批判の両面を受けています。
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