今回はいじめを乗り越えて、お笑い芸人として成功を収めた背景を深ぼりしていきます。
ジャンポケ斉藤の幼少期のいじめがひどい!
ジャンポケ斎藤さんは独特のキャラクター性、体を張った演技などで人気を集めていましたが、幼少期に長い間いじめを受けていたそうです。
ジャンポケ斎藤さんは、両親が共働きで忙しかったので、
『迷惑をかけてはいけない、心配をかけてはいけない』
と思い込み、恐怖におびえながらも、いじめられているのを隠し、学校に通っていたそうです。
小学3年~中学生までいじめられていた
ジャンポケ斎藤さんは小学3年生から中学生の頃までいじめを受けていたと話されています。
●ジャンポケ斎藤さんは小3の頃、クラスで一番小さくて「チビ」とからかわれるようになった。
●上履きがなくなるとか、3階から自分の教科書が落ちてくるとか、そんなことは当たり前だった。
●ジャンポケ斎藤さんはある日虫捕りに誘われたが『お前が虫だ!』と言われ、ボコボコにされた。
泣くと、「俺らが悪いみたいになるじゃないか。笑えよ」と言われ、無理やり笑ったことがある。
●ジャンポケ斎藤さんは給食を並んでもよそってもらえず、3カ月くらい食べられなかった。
●ジャンポケ斎藤さんは授業中、「姿勢が悪い」と彫刻刀で背中を刺されることが続いた。
血が出ても親や周囲に悟られないように、黒い服を着て行った。
●卒業アルバムの撮影の日、同級生に「お前を写真に残したくない。おまえは来るな」と言われたので、集合写真に写っていない。そのころから体調不良を理由に学校を休みがちになった。
ジャンポケ斎藤さんは生きていることがつらくて絶望しかなく、首をくくろうとしたこともあったそうです。
『親に早く相談するべきだった。悪いのは、人を平気で傷つけるやつらのほうなんだから』と大人になったジャンポケ斎藤さんは話されています。
もし、人を傷つけている人がいるなら絶対にやめてほしい。その人は一瞬で忘れるかもしれないけど、いじめられている側は一生忘れない。僕は一生恨んでいます。自分がやったことを後悔して、これから自分は変わっていくんだ、これからは人を傷つけずに生きていくんだという気持ちを持ってくれたらすごくうれしい
引用元:女性自身
本当につらい幼少期を過ごされていたんだね...
学校の先生も親身になってくれていたらと考えてしまいますね...
ジャンポケ斎藤さんは芸人になってから、いじめの加害者から連絡があったことを明かしています。
「全然知らない番号からかかってきて、“久しぶり”って言っても全然分かんなくて」見覚えのない番号から着信
名前を聞き「頭真っ白になって。え!?って思って」と動揺
相手「いじめのあれ見たんだけど、その中に俺って入ってる?」
ジャンポケ斎藤「入ってるっていうか、お前中心だっただろ」と呆れて返答。
相手「今子供が3人いるんだけど、名前とかは出さないでもらえるとありがたいな」とお願いされた。
これに対してジャンポケ斎藤さんは
「俺はもしかすると、最後にごめんなの一言があったら、ちょっと救われたかもしれない」
俺にひどいことしたっていうよりも、自分の今の環境を守りたいのかと思って、うんざりしたと言っていました。
ジャンポケ斉藤の学生時代のエピソード
ジャンポケ斎藤さんはどのような学生時代を送っていたのでしょうか。
幼稚園の頃から野球をしていた
ジャンポケ斎藤さんは両親のすすめで幼稚園の頃から野球をしていました。
ジャンポケ斎藤さんは野球好きの両親のために、陽が暮れるまで練習。小学生では投手、中学からセンターに転向したそうです。
ただ、やっと野球を楽しく思えたの高校生になってからだそう。
「人見知りでしたが、みんなが積極的に話しかけてくれるうちに、野球は下手だけど初めて楽しむことができた。野球を通して自分が変われて、人の心を動かせる仕事をやりたいなと思ったんです。」と話しています。
高校生時代に出会えた友達の影響ってすばらしいです!
ジャンポケ斎藤さんは千葉県の私立八千代松陰高校の野球部に所属していました。
高校1年の1998年には、八千代松陰高校は県大会を勝ち進み、第80回甲子園に出場しました。
当時の3年生エース多田野 数人さん(ただの かずひと)は、のちに日本ハムファイターズでも活躍する実力派投手でした。
八千代松陰高校は、1回戦でPL学園に敗れてしまい、残念ながら1年生のジャンポケ斎藤さんは試合に出場することができませんでした。
そんなすごいチームに入っていたんだね!
役者に興味を持つ
ジャンポケ斎藤さんは、中学生になり、役者に興味を持ち始めました。
僕と同年代の藤原竜也さんが主演の『身毒丸』という舞台作品を映画館で見て、感動しました
引用元:AERA.dot
高校で演劇部に入りたかったジャンポケ斎藤さんですが、両親のすすめで野球部に入部しています。
学校に行きたくない時、ジャンポケ斎藤さんはひたすらドラマを見ていたそうです。
演じることで別の人間になれるのでは、と考えていたそうです。
その後も、ジャンポケ斎藤さんは芝居の道に進みたいという気持ちが大きくなり、卒業生に有名な役者さんや音楽家も多かった桐朋学園大学 芸術学部の短大への進学を決めました。
大学の入学金はバイトで稼いだ
ジャンポケ斎藤さんの高校は実はバイト禁止でした。
しかしある程度の入学金は自分で準備するぞ、と相当働いたそうです。
「正直、高校生が稼ぐ給料ではなかったです(笑)」と話されています。
工場で一人黙々と作業していたんだって。
もともとお笑いには興味がなかった
ジャンポケ斎藤さんはもともとお笑いには興味がなかったそうです。
しかし、高校時代にその片鱗をうかがわせるような出来事がありました。
野球部の3年生を送る会で、100人程いる部員の中からなぜか5人に選ばれたジャンポケ斎藤さん。
全校生徒の前で人気グループ「嵐」の曲を踊ることになりました。
ジャンポケ斎藤さんはまじめにやっていたのになぜか笑いが。
終わった後に、同級生に「こんな面白いやつみたことないよ」と言われたそうです。
ジャンポケ斎藤さんは
「このときに笑いの世界に行こうとはならなかったが、とても気持ちよかった」
と振り返っています。
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ジャンポケ斉藤の家族とのエピソード
ジャンポケ斎藤さんは千葉県八千代市出身で八千代市の「やちよPR大使」も務めていました。
ジャンポケ斎藤さんはお母さんがとても大好きだそうです。
どのようなご家族と過ごされたのか調べてみました。
ジャンポケ斎藤の家族構成
ジャンポケ斎藤さんの家族構成は
父親
母親
兄
ジャンポケ斎藤(本名 斎藤慎二)
弟
の5人家族です。
父親とのエピソード
ジャンポケ斎藤さんは父親のことを「笑ってるときがあんまなかった、寡黙な親父だった」と話されています。
●ジャンポケ斎藤さんが野球をしていたのは、お父さんが野球のコーチをやっていたことが大きく、陽が暮れるまで練習していた。
●短大の演劇を専攻した際、演劇はサークル程度でやってほしかった父親とはほとんど話さなくなり、芸人になってもその溝は埋められず、割り切れない気持ちを残したまま他界した。
●2018年12月に放送された読売テレビ・日本テレビ系番組『物置開けてみませんか?芸能人の実家大捜索SP』でジャンポケ斎藤さんの自宅の物置を見てみると、ジャングルポケットのネットニュースのスクラップを大量に発見。
母親は「お父さんパソコンやっていたから」と振り返り、息子の活躍を報じる小さな記事やコメントまでもプリントアウトして大切に保管していたことを知ることになった。
実はお父さんは芸人になった息子のことを誰よりも応援していたんだね!
母親とのエピソード
ジャンポケ斎藤さんがお母さんのことが大好きなエピソードがたくさんありました。
●2019年台風が多かった年、「2日に1回くらいは母親と連絡をとってます」と頻ぱんに連絡を取っていることを明かす。その際ジャンポケ太田さんが「(斉藤が)ママって呼んでるんですよ」とマザコンっぷりを暴露された。
●仕事の前に地元に帰り、お母さんとお好み焼きを食べに行ったことをSNSであげていた。
夕方から仕事だったので、地元に帰って母親に会いに行ってきました‼️元気そうで何より‼️お好み焼き食べた後、あんみつ食べてたよ😊 pic.twitter.com/jbmO6fg2sv
— ジャングルポケット斉藤 (@chsaito) April 8, 2019
●ジャンポケ斎藤さんが出演したドッキリ企画でお母さんが大好きな藤岡宏、さんを家に連れてくるという嬉しいサプライズをした。
●母の日に明石家さんまさんと一緒に写真を撮ってもらう。
今日は母の日🌺いつも、ありがとう🌷さんまさんとの1枚🌸大先輩とお写真が撮りたいと…💐優しいさんまさんはすぐ🆗してくれました🌻サインまで…🌼すいません…。 pic.twitter.com/DcdFgomW3G
— ジャングルポケット斉藤 (@chsaito) May 8, 2022
お母さんが大好きなことが伝わりますね!
親孝行されています。
兄弟とのエピソード
ジャンポケ斎藤さんのお兄さんと弟さんのエピソードはあまり話されていないのか、情報がほとんどありませんでした。
ジャンポケ斎藤さんのお兄さんの年齢は一つ上で、仲が良かったそうです。
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まとめ
ジャンポケ斎藤さんが幼少期に長い間つらいいじめを体験し、克服されたことがわかりました。
その辛い経験をされて、今のジャンポケ斎藤さんがあるのですね。
家族への愛情も深いジャンポケ斎藤さん、これからどのような人生を進むのか気になります。