先日、彼氏からのDV事件で話題になった元ZOCメンバーのアイドル戦慄かなのさん。
戦慄かなのさんは子供時代に母親からの虐待や学生時代にいじめにあい、その後少年院に入所した経歴があります。
今回はそんな戦慄かなのさんの生い立ちについて調べてみました。
戦慄かなのの生い立ち 幼少期
生い立ちからひたすらつらい体験をしてる戦慄かなのさん、もういい加減幸せになってほしい
— まこと🐼🖤 (@mako696to) September 30, 2024
戦慄かなのさんの両親は、戦慄かなのさんが小さい頃にお金がらみの事で喧嘩ばかりの日々でした。
母親が父親に暴力を振るうDVの状態が続き、戦慄かなのさんが6歳のときに離婚したそうです。
母親からの暴力
戦慄かなのさんが小学校に進んだときに両親が離婚。母と妹と3人で暮らし始めた頃から、感情の浮き沈みが激しい母親の矛先は幼い姉妹へと向かい、日常的に虐待を受けるようになりました。
●少しでも気に食わないことがあると殴られた。
●意に沿わないことがあると木の棒でお尻をたたかれ、ミミズ腫れが絶えなかった。
●ボコボコに殴られた後に『ごめんね』とハグされていた。
ネグレクトされていた
●入浴や歯磨きなどの生活習慣を教えてもらえなかった。
●手入れの行き届かない髪に、いつも同じ服装。このようなことから周りから変な目で見られ、中学校に入るといじめの標的になった。
●小3の夏休み、母親がその当時の彼氏と海外旅行へ突然行ってしまい、1週間帰ってこなかったことがあった。
戦慄かなのさんは母親が1週間も帰らないとは知らず、最後の方は水道水を飲むだけだったそうです。誰かに助けを求めることもできず、家から出るのも怖くて、ひたすら待っていたそうです。でもその時は怒りはなくて、『お母さんが死んでいたらどうしよう』と逆に母親を心配したそうです。
子供の頃は、他の家庭を知らないので、自分が虐待をされているとは気づきにくいのかもしれませんね。
パニック障害になる
戦慄かなのさんは小4で激しい動悸や手足の震えをともなう「パニック障害」となり、精神的に不安定な状態になってしまいました。
戦慄かなのさんは小学校で母親が「殴る蹴るがひどい」と打ち明けましたが、教員が解決に向けて動いてくれた様子は感じなかったといいます。戦慄かなのさん自身、虐待を受けているという自覚は乏しかったそうです。
それでも母親のことは嫌いになれない
戦慄かなのさんの学校で虐待の相談窓口が書かれた紙が配られたことがありましたが、怖くて電話できなかった、大ごとになって、お母さんがどこかに連れて行かれたらどうしようという不安があり、相談出来ませんでした。
「暴力を振るわれてはいたけど、お母さんのことが大好きでした。殴った後にはハグやキスまでしてくれて、優しかった。周りの家庭と違うことには小学校高学年にもなると気付きます。でも、私たちは良くも悪くも普通の家族とは違う、もっと深い愛情でつながっているんだって信じていたんです」
引用元:buzzfeed
話を聞いてくれたり、手を差し伸べてくれる大人がひとりでもいたら…と思いますね。
戦慄かなのの生い立ち 学生時代
学生時代いじめにあっていた
戦慄かなのさんは学生時代、家にも学校にも、どこにも居場所がないと感じ、1人になると涙がこぼれてきたと言っています。
●クラスメイトに仲間外れにされ、授業中に回された紙に書かれていたのは自分の悪口。
●中学校に入学すると水を含ませたスポンジを投げられる。
●先輩たちからはスカートが短いと詰められる。
せめてもの抵抗にみんなを驚かせようと、学校の3階から飛び降りて腕と足の骨を折ったことも。それでも病院を退院して教室へ戻れば、そこではいつもと変わらない「日常」が続いていた。
引用元:buzzfeed
戦慄かなのさんはどれだけいじめられていても、自分が学校に行かないことで誰かが勝ち誇る姿が目に浮かび、学校を休むことはなかったそうです。
学校の3階から飛び降りた時は、自暴自棄になっていて死んでもいいと思っていたんだと思います。
地元の先輩に加わり悪い道へ
学校にも家庭にも心安らぐ居場所のなかった戦慄かなのさんは、犯罪に手を染めるようになりました。
●中学3年生で地元の先輩たちのグループに加わり、万引きをしていた。
●私立の高校に進学したが、歌舞伎町や秋葉原を徘徊し、万引・窃盗・詐欺などに手を染め始めた。
「10代前半から万引、窃盗グループのパシリ、詐欺の手伝い…当時は全く悪いことをしている意識がなくて、とにかく稼ぎたいという感覚になっていたんだと思います」
引用元:postseven
戦慄かなのさんは、高校1年生の後半に自主退学。自ら“JKビジネス”を立ち上げ、のめり込んでいきました。
「100円均一で大量に買ったパンツを街でスカウトした女子高生にはいてもらって、1枚8000円でオジサンたちに売っていました。スカウトした女子高生は200人くらいで、買ったオジサンはもっといた。月100万円以上の売り上げは当たり前。月300万円稼いだこともあり、気が大きくなっていきました。
少年院に送致される
そんな生活をしていた戦慄かなのさんですが、自宅に警察官が現れ、そのまま児童相談所の保護施設に送られました。そして戦慄かなのさんが16才の冬に中等少年院に収容されました。
牢屋は天国じゃない。でも、誰からも攻撃されることもない安心感を感じることができたのは少年院が初めてでした。
少年院では法務教官の先生たちに甘えました。怒られることすら嬉しかったんですよね。引用元:buzzfeed
- 少年院の生活の中で、心理学などの本をたくさん読み、これまで知らなかったたくさんの世界について知ることが出来た。
- 少年院で出会った大人たちが自分の気持ちに向き合ってくれ、正しく導いてくれた。
- 少年院での1日1時間のテレビ時間で、画面の向こう側のアイドルたちに勇気や希望をもらっていた。
前向きに考えられるようになった戦慄かなのさんは、将来叶えたい事ができます。
「アイドルになって皆を元気にする」
「自分と同じ境遇にいる子どもたちを救う」
という二つの目標でした。
自暴自棄になっていた戦慄かなのさんにとって、少年院で過ごした2年間は人生を変える転機になった事は間違いないですね。
スカウトで地下アイドルへ
戦慄かなのさんは、少年院を出て地下アイドルの存在を知った時、「地下アイドルにならなれるかもしれない」と思ったと言います。
その後、Twitterへ投稿したダンス動画を見た芸能事務所の人に声をかけられて、戦慄かなのさんは地下アイドルの世界へ足を踏み入れました。
戦慄かなのさんは同時期、法律を勉強するため大検を取得して2018年4月には大学に入学。虐待やネグレクトに苦しむ子どものためにNPO法人baeも立ち上げ、二つの目標を実現しました。
戦慄かなの、幸せになれ
— パパのこと好きにならないで (@PrettyDammatuma) October 2, 2024
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まとめ
今回は壮絶な生い立ちからアイドルになった戦慄かなのさんを調べてみました。
色々な経験をされている戦慄かなのさん。
戦慄かなのさんがこれからも活躍されることを願っています!!